1883年
10月31日
パリのシャブロル通り63番地に生れる。
1893年 画家を目指し、国立セーヴル製陶所の絵付けの講習に通う。
翌年にはパリ市立の特殊学校でデッサンの講義を受ける。
1904年 アンベール画塾に入り、本格的な絵画の勉強を始める。
この年に最初の版画作品『ビリチスの歌』を製作。最初の画商となるロシェを知る。
1906年 モンマルトルの「洗濯船」を訪れ、多くの若い芸術家たちを知り、女性としては珍しく恋人・モデルではなく芸術家の仲間として迎え入れられる。
1908年 油彩作品に初めて買い手がつく。
前年に初めて出品したサロン・デ・パンダン出品作品を、恋人でもあるアポリネールが激賞。
1910年 アポリネールが「立体派的」と論評、この頃から描線は柔らかみを増し、パレットにはグレー・ブルー・薔薇色が加えられる。
1911年 初の挿絵本『恋愛の小詩抄』刊行。
ドイツでは初のマリー・ローランサン展が開かれ話題になる。
1912年 版画の指導を受ける。アポリネールとの恋が終わる。
翌年にはロシェの仲介で二人の大画商と契約。
1914年 ロシェの紹介で知り合ったヴェッチェン男爵と結婚しドイツ国籍となるが、新婚旅行中に第一次世界大戦が勃発しフランスの敵国人となったため、 中立国のスペインに亡命し、戦時中に留まる。
1918年 アポリネールがスペイン風邪のため死去する。
1921年 離婚の手続きに入り、春から単独でパリに住む。
戦後初の個展が開かれ、ロシェの仲介でアメリカの大富豪が作品を購入。
1922年 フランス国籍を回復。その帰還を祝って詩画集『マリーローランサンの扇』が刊行される。
1923年 男爵夫人の肖像画の成功をきっかけに流行画家として華々しく社交界に進出。
バレエ「牡鹿」の衣装と装置をデザインし、翌年の初演には好評を得る。
以後、バレエの衣装などのデザインに携わる。
1932年 「16区のアカデミー」でこの年から3年間、「子供と青年のための絵」と「デッサンの講義」を教える。
翌年には澤田美喜に指導をする。
1940年 第二次世界大戦のため修道院に疎開するが、休戦でパリに戻り、その後イギリスへと脱出。
翌年、元夫のヴェッチェンが死去。自らを語った唯一の著書「夜の手帖」を刊行。
1948年 社交生活よりも修道院での生活に憧れるようになり、修道院をよく訪れるようになるが、その後も様々な場所に作品を提供。
1951年 戦争以来占拠され続けているアパルトマンを取り返すための訴訟を起こす。
1954年 家政婦だったシュザンヌを養女とする。翌年裁判が決着しアパルトマンに戻る。
1956年
6月8日
自宅アパルトマンで心臓発作のため死去する。
教会で遺志により、白い衣装に赤い薔薇を手に生涯持ち歩いたアポリネールからの手紙の束を胸に、 ペール・ラシェ―ズ墓地に埋葬された。