1841年
2月25日
フランス・仕立て屋の7人兄弟の6番目の息子として生れ、その日に教会で洗礼を受ける。
1854年 カソリック系の学校に通い、教会で声楽を学んだが
この年陶器の絵付師に奉行しながら素画を学ぶ。
1858−59年 窓の日除け製造業者のもとで装飾家として働き始める。
1861年 グレールのアトリエに入る。翌年、エコール・デ・ボザールに入学。
アトリエではモネ、シスレーと出会う。
1869年 両親のもとで生活し、モネの家に毎日のように通いながら印象派の技法を採用する。
1870年 普仏戦争に動員されるが重度の赤痢を患い治療。翌年復帰したが動員解除になりパリに帰る。
1874年 モネとアルジャントゥイユで制作する事が多くなり、この年
写真家ナダールのスタジオで無名作家達の最初の展覧会(第一回印象派展)に数点出品する。第二回は1876年、第三回は1877年に開催された。
1879年 この年に発行された雑誌の画廊で個展が行われる。
1881年 アルジェリア・イタリアを旅行し、ローマでラファエロの作品に感銘する。
この後、作品に明快な形態や硬い描線、冷たい色調など新古典派の影響が目立つようになる。
1883年 マドレーヌ大通りの画廊でブータン、モネ、ルノワール、ピサロ、シスレーと連続で催された大個展が開催される。
1890年 アリーヌ・シャリゴとパリで結婚する。
次第にルノワール本来の暖かな色調が戻り、豊満なヌードを多く描くようになる。
また、これまで何度かおこなってきたサロンへの出品がこの出品で最後となる。
1894年 リューマチの発作に苦しむ。
1896年 モネ、ドガと前年に亡くなったベルト・モリゾーの回顧展を準備・開催する。
数ヵ月後、同画廊でルノワール展開催。
1902年 健康が悪化、リューマチの激しい発作に見舞われる。
1907年 南仏カーニュに広大な土地を購入・翌年まで家を建てる。
1910年 ついに歩けなくなるが、作品の制作を続ける。
1912年、身体の麻痺に苦しみ手術を受ける。
1915年 妻アリーヌが56歳で死去。
1918年 オスロの国立美術館の展覧会に作品が出品される。ニューヨーク・パリでも展覧会が行われる。
一方、彫刻の共同制作など制作活動も行う。
1919年
12月3日
晩年、車椅子で制作を続けるも肺充血によりカーニュで死去。
12月6日アリーヌと並んで埋葬される。